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4. ネコが愛を連れてくる

 

 触れられないから猫を描く。憧れるから猫を描く。修士1年生の頃はそれが私の制作の根幹だった。それが変化したのが、修士2年になり、コロナの影響が強くなり始めて自粛生活が始まる直前のことだ。

 その日、恋人と友達と3人で服を買いに出掛けた。

 お目当ての洋服屋さんの開店まで時間があったので、開店時間まで時間を潰そうかと歩いていて、たまたま大通り沿いにあるペットショップに入ることにした。最近は、とにかく猫を見たくてペットショップに入っては猫を見ることが私の中で流行っていた。

 店内にはたくさんの子猫や子犬がいて、みんな可愛かった

 キャラメルみたいな美味しそうな色で甘い顔をしている子猫がいた。その子猫は一緒にウィンドウの中に入っている子猫とずっと戯れて遊んでいて、相手の子猫の尻尾を噛んでたりしていた。その子をずーっと見ていると、優しい店長が私たちに声をかけて子猫を触らせてくれた。

 私は猫カフェでも全然モテないし、道端で会う動物にも全く好かれない。ペットショップでも全然動物たちは見向きもしてくれない。私がどんなに好きでも、きっと動物はみんな私のことは嫌いなんだとずっと思っていた。

 それなのに!その子猫は何も躊躇うことなく私の膝の上に乗ってきてくれたのだ!そんなことは初めての経験だった。

 顎の下もしっかり撫でさせてくれたし、抱っこもさせてくれた。

 鳴き声は「に゛ゃ~」というしゃがれ声で、私をつぶらな瞳で見つめてくる。

 「どうしよう」

 こんなことは初めてで、すごく戸惑った。私にはアレルギーがあるし、動物と暮らしたこともないし、この子を幸せにできる自信なんてない。

 けれど、一緒にいた恋人が「この子を迎えよう」と背中を押してくれた。

 運命とはこういうことを言うのかもしれない。

 恋人はいきなりその子猫に指を噛まれて流血していたけど、その猫は私にくっついてくれた。

 私は初めて動物に好かれたことで幸せがいっぱいだった。

 それからは子猫の世話で毎日、毎日、感動しかなかった。

 ちょうど自粛要請が出ていた時期だったので、必然的に一緒にいる時間も多く、何より子猫が Äb0可愛くて、写真を撮ったりスケッチばっかりしていた。街の時間は止まっているかのように静かなのに、私の世界はとにかく目まぐるしかった。

 私の中の「ネコ」はどんどん変化していった。

 自分じゃない命の世話をすることが生きてきた中で初めてだったから、どういうふうに持ったらいいのか、接したらいいのかわからないことも多かった。

 最初はドキドキしてよく眠れなくて、朝起きたら子猫がご飯をねだって鳴いていて、それから1 日が始まっていく。撫でさせてくれなくなった時は本気で嫌われたんじゃないかと思って泣いたこともある。

 動物アレルギーに関しては、神様がチャンスをくれたみたいで、この子に対しては酷い発作は 出なかった。これに関しては本当に賭けだった。体調が悪くなると痒くなることもあるけれど、それくらいだ。

 猫と生活していくうちに、私の視界はガラリと景色を変え、私は自分の立場が変わったことに気づいてきた。

 今までは家族や大人たちから「愛」を受け取る側だったのに、今では徐々に「愛」を与える側になっているのかもしれないと思った。自分に使っていた時間を自分以外の生き物に割くことが当たり前になっていった。生活の軸が猫になっていく。

 

 そうやって猫を思う時間が増えて、今まで自分が生きてきた時間の中で、私にはどれほどの愛情が注がれていたのか思い出せるようになった。

 今でも冬に使っているピンク色のキティちゃんの毛布は私が風邪を引かないようにするためのサンタさんからの思いやりだったのだと今では思う。

 

 こんなに忙しいのに、不思議と今まで以上に制作する時間も、作品の数も増えていった。

 遊べるおもちゃを作ろうと思いついた時、実際にやってみるとミシン作業や刺繍も好きだと発見した。絵を描く以外にも自分の特技を見つけることにもなった。可愛いなと思う素材や表現を見つけるのが楽しくなった。猫と生活するから、自然と普段から丁寧に生活するように心がけるようになったし、楽しく絵を描く気持ちが大きくなっていった。

 

 日々愛おしさが募っていく。そして、その愛おしさが溢れて作品になっていく。

 私はまだ個展をやったことがないけれど、初めて猫の作品だけで2人展をやった時、たくさんの人の笑顔を見ることができた。いっぱい私は幸せをもらうことができた。少しでも、この気持ちを伝えることができている実感があった。

 私はその時初めて、子供の頃から絵を描いてきた最初の気持ちを思い出すことができたように感じた。楽しいから描く、そしてそれがみんなに伝わっていく。上手い絵は、上手いだけの絵で、きっと心が伝わらない。降り積もった動物への愛おしさが、そして、自分がたくさん受けてきた愛情が、やっと絵に出来たのかもしれない。みんなが笑顔になることが本当に嬉しかった。

 

 「猫」と出会うことで「ネコ」を描くようになり、

「ネコ」を描くことで「愛」を振り返ることができた。

 ただ絵を描いて自己満足していた時間が、自分の意思を強く持って絵を生み出す時間に変化した。

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