「私のたからもの」
0. 私は猫作家じゃない
私は猫作家と呼ばれるのが嫌いだ。なぜかって、私は猫を描きたいわけではないからだ。猫は好きだけれど、猫を描きたいわけじゃない。じゃあ何を描いてるのかと聞かれれば私は愛を描いていると答えたい。ぽかぽかな気持ちだ。「可愛い」の言葉の中には愛がある。愛を可能にするのが可愛いものだ。だから私は可愛いもの探検隊だ。私にとっての1番の可愛いものは、猫。だから猫を通して受け取った可愛いとか愛おしいとか、そういったぽかぽかする気持ちを描いている。
描いていると書いてきたが、私は色々なメディアを扱う。元々は日本画を勉強して、今は版画を勉強している。版画だけでなく、アニメーションを作ったり、裁縫をしたり、立体を作ったり、色々な方法で作品を制作している。それは様々なメディアに触れることが面白いということもそうだけれど、それ以上に「可愛い」が色々なところにあるからだ。 ネコを通して可愛いを発見し、その可愛いを表現するために可愛いメディアを見つける。そう Äb0して生まれてくるのが私の作品だ。
よく聞かれる、「なぜ猫なのか」
猫は美術界において誤解される。猫を描いておけば売れる。猫を描けば可愛いと人が寄ってくる。だから、絵の本質を見てもらえない。表面的な作品になりがち。
猫を本格的に描き始めたのは、修士1年生になってからだった。ずっと何をモチーフに描くべ きか学部の頃ですら何も答えが出なかったから、その時は手応えがあった。でも私も多分に漏れず「なぜ猫なのか」と自問自答してきた。前述したように私は「愛」を描いているんだと書いているけれど、なぜ私が猫を描くのかの答えに辿り着くのはなかなか難しかった。そもそも、私は猫を飼ったこともなければ、猫に触れることすら許されなかったから。
1. どうぶつと友達になりたい
これは、私がまだ絵をただ自由に描いていた頃、5歳くらいの時のクリスマスイブの夜。
その時欲しかったプレゼントを手紙に書いて、クッキーとミルクの入ったカップをリビングに置いておいた。サンタさんに手紙とクッキーとミルクを渡すと、優しいサンタさんはその子の願いを叶えてくれるとテレビで見たから間違いないと思っていた。
翌朝のクリスマス当日、目覚めた時に私は両腕を上げて枕元にある「何か」を確認した。その時の手触りを今でも覚えている。
「ん?なんか大きいな!」
私がその年にサンタさんにお願いしたのは「ハムスターがほしい」というお願いだった。
触った感触が大きいから、もしかしたらハムスターのケージが入っているから大きいんじゃないかな?と思ってその瞬間はすごくすごく嬉しかった。
100%ハムスターだと思って身体を起こして、大きな手触りのそれに向き合って包装紙を開けてみると、そこにはキティちゃんの毛布が入っていた。サンタさんはハムスターをくれなかった。
それなのにクッキーとミルクは残さず食べて帰ってしまっていた。
子どもの時に動物と生活したい気持ちはすごく強かった。
けれど、小学校の時のうさぎ当番は、小児喘息と動物アレルギーがあったせいでお世話できなかった。動物園のふれあいコーナーも入ると目が痒くて、くしゃみも出るのですぐに離れることになった。
友達の家に猫や犬がいても、動物の毛のせいで遊べなくなってしまったことも多かった。悲しいな、と思って泣いていたりしたけど、自分の身体のことを心配している両親に迷惑をかけはいけないと思っていた。
動物に接することについては我慢をしないといけなかった。
小さい頃あまり身体が強くなかった私は、家で絵を描いたりゲームをしていることが多かっ Äb0た。だから、たくさんの動物に囲まれていられるゲームは私にとって大切な仲間を感じられる場所だった。
夢の中で面白い猫に会ったことがある。
「ごしゅじんさまはバカだにゃ~」と言いながら私のことを踏んづけていく、灰色の体で、目の色がブルーグレーの色をした“てと”という猫だ。
“てと”はその時しっかり人間の言葉を喋っていたし、ピンクの肉球でしっかり顔を踏んづけていった。
その夢を見たあとに買い物をしていたら、“てと”そっくりな猫のぬいぐるみを見つけてしまって、夢の話をして笑っていた母に買ってもらった。きっとその時はもう動物の中でも猫が特別になっていたのだと思う。てとは今でも私のそばにいる。