2. 絵を描くこと
私は絵を描くことが好きで、幼い時から絵を描いている。
子どもの時のお絵かきタイムは楽しい時間で、私の周りの大人は私が絵を描くとすごく喜んでいた。その時は褒められることも嬉しかったから絵を描くのが楽しかった。自分が世界で一番絵 が上手なんだと思っていた。 私は自然と絵を描く道を選び、美術大学に通うたくさんの人々と同じように、絵を描く技術の練習をたくさんした。たくさん練習して、見たままの物をしっかりと描くことができた時、楽しかった。
けれど、子供の頃に褒められていた時間は、先生に指導される機会に変わった。自分よりもまだ絵が上手な人がたくさんいたんだと知った。
大学に入ると褒められることはすごく減ってしまった。絵は上手いとか下手とか、そういうものではなくなってしまった。今、自分が何を表現したいのか、という絵になっていった。
私は上手に描かないといけないという考え方に、いつの間にかなってしまっていたので、何を 表現したいのか?と問われたときに特に何も思いつかなかった。
「何か」を上手に描いても、「何も」返ってこなかった。
日本画科に所属していた学部の頃、私は何を描くことが正しいのかわからなくなっていた。
03. ネコを描くこと
動物は私にとって憧れだった。触れないから、まして一緒に生活することなど絶対にできない。その気持ちは25年生きてきた私の中に降り積もっていたのかもしれない。
ある時、有名な動画クリエイターが猫を飼い始めたのがきっかけで、インターネットに日々上 がり続けている猫の動画を狂ったように見るようになった。猫を道端で拾うとどうなるのか。猫と生活する赤ちゃんはどんな生活をしているのか。猫はどうやって人間と生活しているのか。
そのうちにどうすれば猫を飼えるのか考えるようになってしまっていた。
けれど、実際猫を飼ったところで、維持費は?誰が世話をするの?トイレは?病気をしたらどうするの?そもそも動物アレルギーは治ったの?
現実には不可能だと思っていた。だからこそ色々なことを想像した。
いつからか猫は「猫」ではなく「ネコ」と頭の中では変換されるようになり、架空の親友のような存在になり、「何を」表現したいか考える時、「ネコ」を表現したいと考えるようになって いた。
「ネコ」のいる生活、「ネコ」のいる時間、「ネコ」の考えていること。自分がもし「ネコ」と生活すればどんな姿を見せてくれるのか、どんな物語が生まれるのか妄想することが好きで、気づけば、ネコが絵の端々に登場するようになっていた。
修士1年生の頃になるとモチーフは猫ばかりになっていた。猫を飼った時のことを妄想して、見たり聞いたりした猫の可愛いさを自分なりに消化して銅版画にするようになった。1回版を作れば仲間がたくさん出来た気がしてとっても嬉しかった。
そういうものに囲まれて私は幸せだったし、展示を見た人も笑顔になってくれる。それが私に とって最高に嬉しかった。みんなと心が通っていると実感できるようになった。
やっと!やっと、私が表現したいものが見つかったと思った。
猫が飼えないから、触れられないから描いちゃいけないわけじゃない。触れたい気持ちを描けばいいんだ!と強く思った。
学部4年生の頃の卒業作品。
この頃すでに猫も描いているし、動物もたくさん出てくる。(猫の割合が多いけれど)自覚はしていなかったけれど、この作品には今の私の欠片が見えている。私にとって大切な作品だ。